過去から学ぶということ
最近悲惨な事件が多く発生している。ISISによる日本人殺害事件、和歌山の小学生殺害事件、川崎の中学生殺害事件などが例として挙げられる。
これらに関するニュースを見る中で一点思う事があったので、書いてみる。それは、「過去から学ぶということ」もとい「過去から学ばせるということ」だ。
先述の事件はいずれも似たような事件が過去に発生しており、そこからNot to Doを学ぶ事ができる。
ISISの事件だと香田さんの事件、和歌山の事件や川崎の事件についてはすぐに例が挙がらないが近所の挙動不審な人(小学生から見て面白いと感じる人)を馬鹿にして殴られた事件、不良グループとつるんでいたが脱退したくなりボコボコにされた事件などがあったのではないだろうか。つまり過去を学んでいれば避けられた可能性があるという事だ。
何故、こう感じたかと言えばISISの事件発生後に小学校で被害者の写真を用いた授業が行われた批判が殺到したという事があったからだ。この件について教育委員会やPTAなどは悲惨な画像を見せた事による心的ショック等の理由から、授業を行った教師をひたすらに批判をしたが、ただそれだけでは何の解決・改善には繋がらない。
事件に関してのプロセス、何故こういった悲惨な事件が起きてしまったのか、どうすればそうなる事を防げたのか等を小学生のうちに正しく教育する事が出来ていれば今後同じような事件が起きる事を多少なりとも防げるのではないだろうか。
私自身、小学生であったのが既に10数年前なので、今の教育の事は正しくはわからないが変わっていなければ道徳の授業において教訓を込めたやわらかなストーリーを用いて教育が行われているのではないかと思う。しかし、それだけでは不十分だというのが私の持論だ。
社会の授業で、日本の歴史を学ぶだけではなく現代社会で生き残る為の術を学べるような場所があってもよいのではないだろうか。何かインターネットを使って実践できるものがあれば作ってみたい。
最後に本記事で取り上げた事件の被害者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。